Comments | 著名人コメント(50音順)


有馬 大樹(幻冬舎 書籍編集)

25年前の私は、物語を求めていた。 小説を貪るように読み、単館映画館にも足しげく通った。 そこには、トレンディドラマの主役のように「みんな」受けはしなそうな、でもどこか自分と似た人物がたくさん登場した。 歳を重ね、編集者になり、物語と向き合う姿勢もあの当時とはすっかり変わった。 このオムニバスを観た時に感じたのは、素朴に好きな本を読むときに生じる感覚だった。そして、「あの頃」の自分のことも思い出した。だから『勝手に大人になんなよ』というセリフは刺さった。もしこの3作品を活字にしてみたらどうなるのだろう、そんな空想も湧いてくる。


雨無 麻友子(映画プロデューサー)

たまたま出逢ったひととの時間も、 生活を共にしているひととの時間も、 日常でよく会うひととの時間も、 いろんな人との出逢いと関わりの上で、 わたしの人生も成り立っていることを改めて見つめました。 景色の切り取り方が美しい作品が多く、 どの映画にもやわらかい風が流れており、それぞれの監督の新しい挑戦を感じます。 それぞれの主人公のそのあとの人生に流れる時間にも 思いを馳せることができるオムニバスでした。 


飯塚 健(映画監督/脚本家)

人は若さを歩いて、大人になるわけで。 で、少し止まると書いて歩くなわけで。 夏かしく、くすぐったい短編集でした。


石田 真澄(写真家)

ふとした時に、そんなつもりじゃない人に、ぽろっと自分の内の話をしてしまう時がある。誰かと対話をすることの尊さと、難しさ、ためらい、少しの緊張。2人きりで話をしたい人をぼんやり思い出しながら観ていました。


いずみ 吉紘(脚本家)

映画にヒロインがいるとしたら、彼女たちは三人とも脇役なんだろう。 「ただの夏の日の話」の中で、彼女は学生の頃からずっと脇役だったと愚痴るシーンがあるが、相手は恋人でも友だちでも家族でもなく、たまたま出会った名前も知らないオジサンだ。それでも彼女はオジサンの言葉に励まされ、人生のヒロインになるべく歩き出す。彼女はたぶん、相手に好かれる必要もない、見返りも求めない赤の他人という関係だからこそ、オジサンの言葉に見せかけではない本当のやさしさを感じたんだろう。仕事帰りに一人で観たくなる、やさしさに満ちた映画。


内田 也哉子(文筆家)

この上なく生意気でキラッキラな彼女たちの刹那と、映画のスクリーンで出会える歓び。 若さという季節をとうに過ぎた私も、濃縮還元されたその感受性に息を呑み、共鳴した!


大木 秀晃(OOAAinc. ケトル クリエイティブディレクター)

俳句のような企画だと思いました。二十数分という限られた尺、夏という季節(1作品は4つの季節)、季語はそれぞれの作品に象徴的にでてくる要素。盟友とも言える金川監督の「冬子の夏」は、広告という緻密な設計が求められる世界で培った技が随所に光る作品です。CMをつくるときの金川監督は、毎回15秒とは思えないほどの情報量を緻密な設計で作り込んでいく。金川監督からこの15秒という枠を取り払ったらいったいどんな映像ができあがるのだろう、と思っていましたが、こうなるのですね。もっとみたいです。


岡本 夏美(女優)

ありきたりな日常も、見方を変えただけで、私だけの大切な日常になるのかもしれません。 あの時すれ違ったあの人も、 ふと見上げたあの空も、日常を豊かにしてくれる、私の味方になってくれる、かも。 なんて、そっと背中を押されたような優しい映画でした。 「春」の、今を生きることの、儚さや強さの繊細な表現や、「冬子の夏」の思春期の危うさ、尊さのリズミカルな描き方がとても好みでした。


金井 純一(監督/Director)

よくある青春モノではない、異彩を放つ「冬子の夏」。主演2人の、この作品でしか見せないような表情がとても魅力的でした。スタッフ・キャストが、一筋縄ではいかない青春こそ自分たちの青春と言わんばかりに一丸となっていて、その振り切った姿勢がまた青春っぽくて清々しく、きっと見た人が忘れられなくなる作品だと思います。


桐石 一起(テレビ局勤務)

いずれも珠玉の3本。中でも「冬子の夏」。我が母校都立青山高校を卒業したイイ歳の大人たちが集い、クラファンで撮った映画。熱くて、泣けるポカリスエットのCMのような青春映画を期待したが、この目線で来たかと、いい意味で裏切られた。周囲のキラつきと、自分への焦り。高3の母校の夏の感じが上手く切り取られていた。卒業して20年以上経った今となっては、こんな素敵な映画を撮る卒業生たちの才能のキラつきが、ただひたすらに眩しく映った。


小杉 幸一(Onehappy アートディレクター/クリエイティブディレクター)

他者を通じ、 過去の、未来の自分の、 五感の穴が、 ぞわぞわ、どきどき、らんらん、 きしきし、いらいら、どんどん、 ふわふわ、ぎざぎざ、ぎんぎん、 と開いていくのを見守る時間。 


小林 且弥(映画監督/映画プロデューサー/俳優)

変わらない日常が「わたし」にとってほんの少しだけ姿を変えた。 移ろう季節の中で「私」は現実と自分に向き合い、ワタシはまだ解消されていない道の途中を再確認する。


小林 由佳(小学館 ファッションカルチャーマガジンMaybe!編集長)

正気のままでは突破できないようなことは、大人になった今でもたくさんあって、その度にやけくそになったり、食い下がったりするわけだけど、とても恥ずかしい。でも生きていくことって恥ずかしいことだよなー。と、まぶしい2人の姿に思い浮かんだ。 


正田 真弘(写真家)

3本の映画を観た。次の日もその次の日も他者によって存在する私を考える。これは私にとって、とても豊かな日々だ。


筒井 竜平(映画プロデューサー)

3つの短編映画オムニバス。「3」っていいですねぇ。「3本の矢」、「3人寄れば文殊の知恵」、調べれば調べるほどに、神秘的でもある。1つでは叶わなかった劇場公開が3つで可能になる。映画館で観客に観られることで本当の完成を迎える。可能性が広がる素敵な取り組みだと思います。おめでとうございます。


永井 聡(映画監督/CMディレクター)

「まるで映画みたい」という言葉は映像の制作現場において褒め言葉として度々使用されるが、「まるでCMみたい」という言葉はネガティブな言葉として使われる事が多い。 「CMみたいな映画だった」「CM出身っぽい映像だった」これらの表現は定義があるわけではないと思う。しかし、CM表現に多くの規制があることは事実だ。テレビ画面で見るものだから、極端なワイドショットを多用しにくいとか、アルコールの広告においては演者が飲むシーンの寄り具合も、喉を鳴らす音の回数まで規制が入る。だからこそCMディレクター達は映画やドラマ、MVとは違う進化を遂げてきたようにも思える。ワンカット毎に時間をかけて撮り、少ない尺の中で情報を叩き込み、編集の緩急に長けている。今回のオムニバス映画は規制を取っ払ったディレクター達の瑞々しい作品になっていると思う。CMでは出せない心の表現を自由に撮っている。更にワンカットワンカット手を抜く事なく短い時間の中に色々なメッセージが込められていて「CMっぽい」というのをネガティブに捉える事なく、敢えて自分の得意技として映画の演出に取り込んでいるのでゆったりとした作品のように見えてしかし研ぎ澄まされた作品になっている。 カッコいい映像や綺麗な映像はある程度経験を重ねれば誰でも撮れるが、人間を撮るのはいつの時代も難しい。今作の監督たちは綺麗な映像だけでは無く真摯に人間と向き合って作品を作っているのが良くわかる。こういうのを堂々と観せられると嬉しくもあり、自分の背筋が伸びる思いだ。 


西川 美和(映画監督)

先ゆき不透明な少女は可憐な存在ではなく、不機嫌で、不真面目で、ふてぶてしい。 意味をなさない言葉が生きた台詞になり、しかしそれらは彼女らの心情とはひもづかず、安易な読み取りを拒む。 日本の映画の中で描かれる言葉や人間はこんなふうに変わっていくのだな、と置いていかれる少女のようにオロオロした。 


浜崎 慎治(映画監督/CMディレクター)

素晴らしい作品群。きっとこれから世界を驚かす監督、俳優、スタッフがこの中にいるはず!同業者としてこれはうかうかしてられない。スティーブン・スピルバーグ、クリストファー・ノーラン、そしてあの有名監督たちもスタートは短編映画だった。自分のコアな部分が凝縮された最もクリエイティブな実験場が短編映画でもある。そして忘れられない映画がたまたま短編だったということも、人生にはあるのだから。


ハリー杉山(タレント)

私は認知症と共に今を生き、父を持ち、在宅介護を母と共に経験してきました。 主人公のように自分も父にイライラを抱え、自分が最も尊敬する家族の大黒柱がまさか認知症になってしまいました終わってしまった事もありました当時の自分がこの作品と出会っていれば、父との先にのほうが勝手に思います。 症は人生の黄昏と共に壮絶な自然の流れ。


般若(ラッパー)

大人ってのは周りにならされていくものではなく、自分でなっていくものと感じました。


平沼 紀久(映画監督/脚本家/俳優)

私は、沢山の肩書きが物語る人生を送って生きている。 どれがわたしにとって1番とかでなく、 ただこの世界が好きなだけで、やらせて頂く機会に後悔なく全力なワタシだけ。 十数年ぶりにこの映画に関わる友人から連絡がきた。 そういう事だと思う! 沢山の方々に観て頂けたらと思います!


深田 晃司(映画監督)

『春』について。生々しいがドキュメンタリーではない、や決断の一つが緻密に周到に作り言葉を作って感激しました。 何より古川琴音と花王おさむは目が離せないほどそこに生きていました。


村上 純〈しずる〉(芸人)

『これは金川さんにしか作れない映像なんだな』と、嫉妬するほどに思います。真正面も変化球もズルさもダサさも全部肯定してもらえる感覚に陥りました。創造もアートも仕事もできるこの監督さんに憧れます。 


CHAI / YUUKI(アーティスト)

“ただの毎日”にはそれぞれの形があって、そしてそのそれぞれの全部が、小さすぎる奇跡の積み重ねなのかも。なーんて、自分の捻くれた過去を見たようなムズムズさと、そしてまた明日に進んで行くためのちょっとの強さを、この3つのストーリーから貰えた気がします。生きていくって面白い。  

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